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文庫は私のお城

加藤寛子さん

おひさま文庫主宰

 

自宅を開放して近隣の子どもたちを中心に本の貸し出しを行う「家庭文庫」をご存じですか?埼玉県上尾市在住の加藤寛子さんは、家庭文庫「おひさま文庫」を始めて31年になります。子どもの頃から本が好きで、学生時代に文庫活動を知り、1987年自宅で家庭文庫をオープン。育児やご自身の病気、お姑さんの介護の時もゆっくりと家庭文庫を歩み続けてきた加藤さんにお話しをお聞きしました。

 
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運命の本との出会い 

ーーー子どもの頃はどちらにお住まいでしたか?

目黒区に住んでいました。今目黒っていうと、おしゃれな街として知られているけれど、子どもの頃は、6畳一間の家が壁1つで仕切られた棟割長屋に暮らしていて、お風呂はなくて銭湯に行っていました。

弟が生まれて、家が手狭になってきて、東急の田園都市開発でできた川崎の新興住宅街に引っ越しました。多摩川が近くて、台風のたびに氾濫する危険があるので、一家総出で畳をあげた思い出があります。

本は子どものころから好きでしたね。小学校では読書クラブに入って、図書室に入りびたりな子でした。学校の図書室は今のように本がなくてね、図書室では、江戸川乱歩の『怪人二十面相』やモーリス・ルブランの『アルセーヌ・ルパン』のシリーズやアガサ・クリスティーの推理ものを、家では父が買ってきた世界名作全集を読んでいました。

ーーー印象深い本はありましたか?

高校生の時に、運命の本に出会いました。それは、イギリスの児童文学の代表作のひとつ、フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』です。子ども向けの本なのに、こんなにもストーリーの展開や表現が豊かで深いことに感銘を受けて、「児童文学」を勉強したいと大学の受験を目指しました。でも、受験期って勉強以外のことに気がいくじゃない?私、その頃ユースホステルで旅をするのが好きで、卒業旅行には山陰をめぐる旅がしたいとアルバイトをしたり、計画を立てたりで、全然勉強がはかどらなくて、結果希望の大学は落ちてしまって、初等教育課がある短大に進学することになりました。卒業旅行はもちろん実行しましたよ。                 

 
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老後に家庭文庫をやろうと決意

―――短大生時代はいかがでしたか? 

人形劇同好会に入って、人形劇をしていましたね。ちょうど学生時代に漫画『ベルサイユのバラ』の連載があって、漫画にもどっぷりハマっていました。アンドレが亡くなった時は、友人たちとお好み焼き屋さんでお葬式を開いて慰めあいました。ある日、短大の友達から、教会の日曜学校の時に行われている文庫活動のお手伝いに誘われて、初めて文庫活動のことを知りました。場の雰囲気がとってもよくて、私もそれから日曜日の文庫活動に通うようになりました。そこで密かに「老後は家庭文庫をやろう」と決意したんですよ。

―――短大卒業後は、幼稚園の先生をされていたそうですね。

幼稚園に勤めている時に結婚が決まったら、園長先生が毎日、やんわりと結婚退職を進めてくるのよ。私は「なんで結婚したら退職しなくちゃいけないんだ」って思っていたから、毎日そのやりとりをかわしながら、結婚後も働き続けました。5年勤めて退職した後は、専業主婦になって、子どもが二人生まれて、かといって子育て一色にはならず(笑)、家庭文庫を開きたいという気持ちが抑えられずに、長男が2歳のときに老後のお楽しみだった家庭文庫を始めました。

 
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加藤さんは、1987年当時住んでいた目黒の自宅で家庭文庫「おひさま文庫」を週1日からスタート。翌年夫の1年間のドイツ研修に家族で同行後、帰国。1992年に埼玉県上尾市に転居。その後も自宅でおひさま文庫を続け、2001年に自宅の敷地内にログハウスを建てて、おひさま文庫専用の場所を作りました。

目黒にいた時は、子どもの幼稚園の友達とそのお母さんたちが文庫に集っていました。当時500冊ほど絵本があって、子どもたちに絵本を読んで欲しくて、見やすいところに置くんだけど、子どもたちは遊びに夢中で絵本が全く目に入らない。それで私が「みんな集まれー」っていって絵本の読み聞かせを始めました。上尾市に引っ越したのは、夫の実家があって、ドイツから帰国して挨拶に行ったら、姑から「私たち夫婦はあなたたちに面倒を見てもらう。一緒に暮らしましょう」と言われたから。姑は地主農家の7人兄弟の長女。とてもしっかりした人でした。

 
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乳がんに羅患。「やりたいことは今やろう」とログハウスを建てる

上尾に引っ越してからは、家の前に小さな看板を立てて、自宅で文庫を開いていました。来るのは小学生になった子どもの友達か知り合いだけでした。

週2日の文庫活動を続けていた46歳の時に、乳がんが見つかりました。初期と言われて手術したらがんがけっこう広がっていて、それを全て取りました。私自身はがんで死ぬとは思っていなくて、取れるものを取ったから大丈夫という気持ちでいましたが、夫の方が焦っていましたね。病気になる前も、いつも思いつくままにやりたいことしてきた私でしたが、病気がきっかけで「やりたいことは今やっておかないと」という気持ちにますますなって、文庫専用のログハウスを建てました。そこからかな?今までは文庫で来る人を待っているだけだったけれど、外にでていこうと思って、近くの小学校に声をかけて読み聞かせを始めました。

 
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現在加藤さんは、小学校や図書館、児童館での絵本などの読み聞かせや人形劇カスパーシアターを行ったり、老人施設で紙芝居を読むボランティアをしたり、東日本大震災の被災地・東松島市に出向き、保育園などの施設での読み聞かせなどに積極的に足を運んでいます。      

 
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ここは私の城

加藤さんは43歳の頃から、おひさま文庫を開きながらパートで図書館に勤め始めました。その中、同居している姑の認知症が徐々に進行し、家での生活が困難になっていきました。

図書館での勤務は、本当に楽しかったです。まだパソコンがあまり普及していない時代で、カウンターで「○○ということを調べたいんだけど」と来た人に、スタッフが一緒になって本を探して提供するレファレンスサービスも業務の一部でした。自分の知らなかった世界のことを調べることで、自分の知識の幅もぐんと広がりました。一緒に働いた人たちもみんな本が好きで、昼の休憩中もずっと本の話。仕事に行くのが楽しくて、楽しくてたまらなかったです。その時の同僚たちとは今も交流が続いています。

勤めて10年過ぎたころから、姑の認知症がどんどん進んで、家で暴れるようになってきたんです。文庫をしている時にもふらりと出かけちゃうこともあったから、その時は文庫に来ているお母さんたちに留守番してもらって、姑を追いかけることが何度もありました。家では姑と舅の激しい口喧嘩が絶えなくなり、姑は目が吊り上がって顔つきも変わっちゃって。そんな状況で姑を家に一人でおいておけないから、仕事は辞めて、姑のお世話を本格的に始めたんだけど、日に日に大変さが増していってね。ディサービスの車が来ても嫌がって家から出ないから、おんぶして車まで運んでいくと、ポカポカ私の頭をたたいて「鬼嫁!」って叫ぶの。それでもディサービスに行ってもらわないと私の用事もままならないから、お願いして行ってもらっていたのが半年続いたかな。その様子を見守っていた姑のケアマネージャーさんが「近くの施設に空きができたから、見学に行ったらどうか?」と勧めてくれました。

今は施設に感謝の気持ちしかないんだけど、最初は姑を施設に預けることに敗北感があって、とても迷いはしたんだけど見学してみたら、家からもほど近く、いいところだったので姑をお願いしました。施設に入ってからしばらくはトラブル続きで大変だったけど、3年過ぎたら落ち着いてきて、顔も穏やかになって。孫のことをすっかり忘れていたのに、思い出したりね(笑)。その姑も9年間施設に入って今年の3月に亡くなりました。いろんなことがあったけど、今は全部笑い話です。

―――それだけ大変なことがあった中、おひさま文庫を辞めようとは思わなかったんですか?

それは思わなかったですね。週2回ということもあったし、ここは私の城だから。姑のことがあっても、ここに戻れば私のしたいことがある。なんのしがらみもない自分でいられる唯一の場所だったからね。

よく、「文庫のお手伝いをさせてください」と声をかけてくれたり、「スタッフの方を雇っては?」とアドバイスをいただくこともあって、申し出はうれしいんだけど、おひさま文庫は私一人でやりたいの。それは私がすすめたい本があって、私のペースでオープンやお休みができるから。人が増えればもっとおひさま文庫の活動が広がっていくのかもしれないけれど、私はこれでいいのよね。

文庫に限らず、私は基本一人行動。自分が好きなように自由に動けるのが好きで、独りよがりな性格なのよ。

あと元幼稚園の先生で、家庭文庫をしていると「子どもが好きなんですね」ともよく言われるけれど、それもちょっと違うの。私は絵本や紙芝居、おもちゃなどの子どもに関わる文化が好きなの。子どもたちが良書に出会う機会を作りたいと言うのも、もちろんあるんだけど、まずは自分が楽しいことをするのが先なの。だから他の家庭文庫とは雰囲気が違うかもしれない。私が漫画も好きだから一部屋まるまる漫画のある部屋もあるしね。今もこの部屋で漫画を読んでいると、時間を忘れてついつい夜更かししちゃうのよね。       

 
 フィンランド製のログハウスの中は、壁一面の本棚に絵本、漫画、YA文学など約1万冊の本たちがぎっしりと詰まった本好きにはたまらない空間。子どもたちの中には、おひさま文庫が公的な図書館だと思っている子もいるとか。この木枠の窓は人形劇カスパーシアターを行えるようにと特注で作ってもらったもの

フィンランド製のログハウスの中は、壁一面の本棚に絵本、漫画、YA文学など約1万冊の本たちがぎっしりと詰まった本好きにはたまらない空間。子どもたちの中には、おひさま文庫が公的な図書館だと思っている子もいるとか。この木枠の窓は人形劇カスパーシアターを行えるようにと特注で作ってもらったもの

―――加藤さんにとっての文庫活動での一番の喜びって何ですか?

それは、文庫で自分の進めた本を子ども達が夢中で読んでいる姿を間近で見られることや、読み聞かせに行った先の子どもたちが「おもしろかった!」とか「また来てね」って言ってくれることかな?

読み聞かせや人形劇ってライブ感があってね、その場の空気がぎゅっとしたり、一気にあたたかくなったりするのがダイレクトに伝わってくるの。「今日はウケた!はまった!」っていう瞬間が何物にも代えられないわね。それって、好きなことを自由にやっている自分のことが認められた、「ここに自分がいてもいい」っていう存在意義を感じられるからかな?きっとそれを何度も感じたくて、今までおひさま文庫を続けてきたというのもあるのかもしれないわ。

目の前のことをこなしていたら、道ができていた

―――お話しを聞いてきて、加藤さんが子どもの文化が好きで、本が好きという軸は、ずっとぶれずにあると感じますが?

うーん、そうかしらね?私はいつもその日の予定を一個一個こなすのが精いっぱい。長期計画を立てるのがとても苦手で、ずっとその時、その時できることをしてきた人なの。確かに振り返ってみると、「子どもの文化に関わること」と「本」はずっと身近にあった、そういう感じかしらね。

あまり、大きなことを考えず、目の前のことをやる、その日暮らしな感じでやってきたから、これからどうしたいっていう具体的な野望ってないんですよ。                

そうね、これからもおひさま文庫をのんきに続けていければいいなってくらいかな?最近は体のあちこちが痛くなるし、本を読む速度が遅くなってきて、これが年を取るということなのかとも感じていて。文庫を続けるためにも、生活の質を落とさないためにも体力が必要だっていうのは常々思っていて、体力がないと気力も落ちちゃうのよね。だから半年前から筋トレに通い始めて、その成果がでてきているところ。筋トレは続けて行きたいですね。

 

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加藤寛子(かとう・ひろこ)さんプロフィール

1953年生まれ。東京都目黒区出身。短大卒業後、幼稚園に5年間勤務。退職後二児に恵まれ、1987年目黒の自宅で家庭文庫「おひさま文庫」をスタート。1992年埼玉県上尾市に転居。転居後も自宅で文庫を続け、2001年自宅敷地内に文庫専用のログハウスを建てる。週二回の文庫活動を続けながら、近隣の小学校や児童館などでの絵本の読み聞かせや人形劇カスパーシアターを行ったり、東日本大震災の被災地に訪れ、地元保育園などで絵本の読み聞かせ活動などを行っている。1999年、視覚障碍者と晴眼者の交流読書サークル「バリアフリー読書サークルYAクラブ」の事務局を立ち上げ、視覚障碍者用の音訳図書「デイジー図書」を作り貸し出している。(http://yaclub.sakura.ne.jp)

おひさま文庫:https://www.facebook.com/ohisamabunko/

〒362-0002 埼玉県上尾市南105-3
開所日時:月・木曜日の15:00~18:00
毎月第3土曜日の11:00から人形劇カスパーシアターを上演

40歳の自分自身への「メッセージ」
図書館勤めの頃ですね。「あんた、幸せな時間だったよ!もうちょっと真剣に生きなさい!」

人生の大きな分岐点
乳がんになったこと

人生で大切にしている「座右の銘」
「お気楽、極楽」 これをモットーに生きてきました。
「いちばんたいせつなものは目に見えない(『星の王子さま』サン・テグジュペリ)」  高校生時代に英語の授業で、英語で読みました。子どもから大人になろうという時期に読んだ児童文学で、印象に残った作品です。


執筆:渚いろは/写真:原光平