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助手席から運転席へ

平田のぶ子さん

手編みサロン あみ~ちぇ代表・編み物講師

 

さいたま市見沼区の自宅や東大宮駅近くにある「ぷらっとギャラリー」などで編み物講師をしている平田のぶ子さん。平田さんは、手の力が弱くなった高齢者や手先が不自由な方も力を入れずに編み物ができる「ユニバーサルかぎ針」を制作、2016年に販売を開始しました。元看護師の視点を取り入れたユニバーサルかぎ針は、編み物をあきらめた高齢者や手の不自由な障がい者が再び編み物に取り組めると、好評です。平田さんのご自宅でお話をお聞きしました。

 
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編み物好きなおとなしい子ども時代

――ご自宅のリビングが編み物教室なんですね。飾ってある作品がとても素敵です。平田さんのご出身はどちらですか?

長野県の岡谷市です。諏訪湖に隣接していて、冬の寒さは厳しく、天然氷のスケート場でスケートができました。岡谷市は製糸業が盛んだったこともあって、子どもの頃は、近所のおばあちゃん達が自宅でかいこを飼って、糸を紡いでいるのもよく見ていました。子どもの頃は、とてもおとなしい子どもでした。体を動かすことが苦手で、学校ではいつも下を向いていましたね。土地柄でしょうか?大人はどんな人でも編み物ができました。私も小学校高学年の頃に、母から簡単な編み方を教わって、学校の休み時間や放課後などに編み物をしていました。マフラーを作って親にプレゼントしたのを覚えています。

父親が早く亡くなったこともあって、子どもながらに片親だからダメなのだと思われたくないと、学生時代は真面目な生徒でした。高校卒業後は、いろいろと考えた結果、人と触れ合う看護師になろうと決めました。当時正看護師になるには、3年制の看護学校(専門学校)あるいは大学の看護学部で資格を取ることが必要でした。その頃は、国立の看護学校は学費がほとんどかからないこともあって、東京にある国立の看護学校に入ることになりました。実は私、相撲が好きで、上京したら東京で相撲が見られることも期待していたんですよ(笑)。

 
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看護学校入学で上京、職場結婚を経て専業主婦に

 ――看護学生時代は、どんな生活でしたか?

上京してから病院と学校が併設された敷地内にある寮生活が始まりました。看護学校のクラスは、同年代の女性で40人。言いたいことが言える価値観の近い仲間と過ごした学生時代はとても楽しかったです。授業で、死や生き方をディスカッションすることもあって、この時に相手を受け入れて尊重する土台を学べたと思います。今でも同窓会で盛り上がる仲間たちばかりです。看護学校卒業後は、付属の病院に勤務して、そこで夫と出会い職場結婚をしました。

―――その後の平田さんは、約30年間、専業主婦でした。専業主婦時代のことを教えてください。

夫は九州男児で、亭主関白でした。夕ご飯に手作りのおかずがないと不機嫌になる人。私は友達に夜の飲み会に誘われても全部断っていました。「あなたは家を守る人でいて欲しい」と言われていましたので、3人の子どもの子育てと、家事に毎日追われて過ごしていました。PTA役員は、幼稚園から高校まで、中学校以外フルコースでやっています。幼稚園のPTA会長になったことから顔が知られてしまい(笑)、まわりから推薦されて、小学校では本部役員をやり、高校では父母代表で祝辞を読みました。人前に出て話すのはとても苦手でしたが、この経験は今、人前で話す時に役立っています。何でも目の前にあるものをまずはやってみると、いつか役に立つ時がきます。この時、一緒にPTA活動をして出会った友人達は、起業した時も、夫が亡くなった時も、そばにいて応援してくれたたり、励ましてくれた人達ばかりです。長く、深くつながっています。

 
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39歳の決断 編み物を専門的に学び、講師業スタート

子育てに、PTA活動に毎日忙しくしていた私でしたが、まわりの人が仕事を再開したり、好きなことをしているのを見て、ずっとうらやましく思っていました。自分で納得して仕事を辞めて家庭に入ったのですが、心のどこかで看護師の資格を活かせていない自分をもどかしく思っていて。そんな自分の気持ちを封印していました。

39歳の時に専業主婦のまま自分の人生が終わってしまうのかと思い悩んで、看護師の仕事を再開するために、看護協会の再教育講座を受講しました。ですが、仕事を探す段階で、夫から仕事に就くのを止められました。「(講座に通ったのは)自分が満足したいだけで、本当にあなたのやりたいことなのか」、「あなたは家にいて、あなたにしかできない家のことをして欲しい」と言われました。恐らく夫は、看護師は命に係わる仕事なので、長いブランクがある私には大きな負担になることも考えて、このように言ってくれたのだと今は思います。ですが、自分のやりたいことを止められてしまい、頭が真っ白になりました。じゃあ、私は今のまま変わらずこのままなのか……とがっくりしていると、夫が「あなたの好きなことをやるのは応援する」と言ってくれました。その時、思い浮かんだのが「編み物」でした。結婚後も趣味で編み物は続けていて、家族や自分のものを編んでいましたが、自己流でした。編み物の専門的な知識を学びたいと思い、一念発起して47歳の時にヴォーグ学園東京校に入学しました。その後も日本手芸普及協会の手編み講師・手編み指導員・手編み師範、製図基礎科、応用科も卒業。ヴォーグ学園には今も月2回通って学び続けています。

学校に通い始めてからしばらくして、友人が「編み物の作品を委託販売してみては?」と、東大宮にある「ぷらっとギャラリー」を紹介してくれました。この委託販売を機に、同場所や高齢者施設などで手編み講習会を始めることになりました。そこで、高齢になって手の力が弱くなり好きだった編み物ができなくなった、病気などで手が不自由になり編み物ができなくなった方に出会いました。その方が握りやすいかぎ針を探しましたが、見つかりません。ならば、私が作ってみようと「ユニバーサルかぎ針」のアイディアが生まれました。

 
 左の写真は、ユニバーサルかぎ針の試作品。最初は紙粘土や、樹脂粘土を使って、かぎ針のアイディアを形にしていった。何度も試作を重ね、右の写真の形が完成形。手が麻痺で動かない方や手の力が弱い方は、かぎ針の穴にバンドを通し手に固定して使う  

左の写真は、ユニバーサルかぎ針の試作品。最初は紙粘土や、樹脂粘土を使って、かぎ針のアイディアを形にしていった。何度も試作を重ね、右の写真の形が完成形。手が麻痺で動かない方や手の力が弱い方は、かぎ針の穴にバンドを通し手に固定して使う
 

夫の死から第二の人生が始まる

 ―――ユニバーサルかぎ針の特許申請の話も出たそうですね。

早速ユニバーサルかぎ針のことをヴォーグ学園の先生に相談したところ、特許申請の話になり、さいたま市産業創造財団にも相談を持ち掛けていました。その最中です。2013年9月に夫が末期の肺がんであることが分かり、約半年間、24時間の付き添いと介護を行うことになりました。半年の間、二人でたくさん話をしました。夫が入院している時は、夫の傍らでいつも編み物をしていました。夫は私が編み物をしている姿を見て、感じるところがあったんだと思います。夫は自分が亡くなった後、私がどうやって生きていくのか、とても心配していました。ユニバーサルかぎ針のことも、夫に相談をしていましたが、介護が始まり制作は中断していました。私が「これからも編み物講師を続けていきたい」と話すと、「ユニバーサルかぎ針の話はどうなった?これは看護師であり、編み物講師であるおまえしか実現できないことだから、絶対に完成させて社会で役立ててもらいなさい」と言われました。

私は夫の余命が分かり、限られた時間に夫と向きあって、1日1日を大切に過ごせたことは本当に良かったと思っています。1日平穏に暮らせた日が、何よりもかけがいのないもので、それは当たり前のことではないと知りました。
夫が亡くなった時、世の中にこんなに悲しいことがあるのかと思うほど、悲しみの底に落ちました。でも一番底まで落ちたら、あとは這い上がるしかない。夫と約束したユニバーサルかぎ針を作ることをすすめなくてと、気持ちを奮いたたせて、夫の死去半年後に編み物教室を再開。ユニバーサルかぎ針の制作も同時に再スタートしました。

少し話は戻るのですが、夫の通院の時に、初めて高速道路をスポーツカーで飛ばしました。「えいや!」とやってみたら、できたんですよ。それまでは、夫とドライブする時はいつも助手席。専業主婦生活でも、私はいつも助手席でした。でも、夫亡き後は、自分が運転席に座って運転しなければならない。これからは自分の人生、自分でハンドルを握っていくんだと思ったんです。
夫の死は大きな転機になって、今はもう一つの人生を生きていると感じています。

 
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世界にひとつのユニバーサル編み針は、私だからできること

―――その後、実用新案の申請を行い、2015年に創業補助金を採択して、ユニバーサルかぎ針の試作がスタート。ビジネスプランがさいたま市ニュービジネス大賞2015 「女性起業賞」受賞などを経て、2016年に念願の「ユニバーサルかぎ針あみ~ちぇ」が完成しましたね。

ユニバーサルかぎ針は、本当にたくさんの方との出会いと応援があって完成しました。ここに至るには、看護師だったこと、専業主婦だったこと、編み物講師になったこと、夫の死など、いいことも悪いことも含めて今までのすべての経験があったからこそたどり着いたのだと思います。たくさんの失敗も学びであり、人生全ての経験が自分の糧になることを実感しています。
もし、私のようにやりたいことがある方は、外に向けて声を出してみてください。つてや資金のない専業主婦だった私は、いろいろ場所で出会った方に「ユニバーサルかぎ針を作りたい」と伝え続けました。それを受けて、情報を教えてくれたり、応援してくれる人が現れて、製品化につながりました。

―――今、専業主婦などで、自分のやりたいことがなかなかできずにいる人に向けてメッセージをいただけますか?

「今を大切に」ですね。その時、その時できることを積み重ねていけば大丈夫。私は子育て一色だった専業主婦時代に出会った友人とのつながりから、手編み講師の場を得て、手編み教室の生徒さんとの出会いで、ユニバーサルかぎ針のアイディアが生まれました。目の前のことに精いっぱいでも、愚直に行っていけば、その経験は必ず未来につながっています。まわりと比べて焦ったり不安を感じたりすることもありますが、自分のペースを大事にしてくださいね。

―――平田さんの野望を教えてください。

名前がユニバーサルなので、「ユニバーサルかぎ針」を世界中の人に使ってもらいたいですね。「ユニバーサルかぎ針」が必要とする人にもっと届くようにと、日本ホビーショーなどに積極的に参加していきたいです。
今、手に麻痺のある方に「ユニバーサルかぎ針」での、編み物を教えているのですが、一つひとつ作品を作る姿から私も力をもらっています。私は人生のいろんな場面で「編み物」に、何度も救われてきました。これからも「編み物の力」をどんどん伝えていきたいですね。

 

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平田のぶ子(ひらた・のぶこ)さんプロフィール

1959年生まれ。長野県岡谷市出身。東京大学医学部附属看護学校卒業後、同病院内科勤務。職場結婚し退職。約30年間、専業主婦として3人の子育てに邁進。2006年からヴォーグ学園東京校の手編みスタンダードコースに通い始め、編み物講師の免許などを取得。2013年よりカフェギャラリーや高齢者宅、老人施設などで講師業をスタート。2016年ユニバーサルかぎ針の販売を開始。さいたま市ニュービジネス大賞2015 「女性起業賞」受賞など。

手編みサロン あみ~ちぇ
https://ciao-amiche.jimdo.com/

40歳の自分自身への「メッセージ」
想像を超えた未来が待ってます。お楽しみに。

人生の大きな分岐点
夫との死別。
自分で人生のハンドルを握るもうひとつの人生が始まりました。

人生で大切にしている「座右の銘」
「あわてず、あせらず、あきらめず」(柴田亜衣 アテネオリンピック 競泳800m女子自由形金メダリストの言葉)


執筆:渚いろは/写真:原光平